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鶴さん、初めまして。

 投稿者:荒野の素浪人  投稿日:2011年 2月 9日(水)16時55分27秒
編集済
  富山県の荒野の素浪人と申します。以後、よろしくお願い申し上げます。


『蒸気機関車山路を行く』のHP内の、旧線時代の奥羽本線・矢立峠で鶴さんが1965年12月末から1966年1月1日にかけて撮影された蒸機の写真のページを拝見させていただきました。鶴さんが矢立峠まで蒸機の撮影に行かれたのは、SLブームが本格的に始まる直前の時期のようでしたね。
さて、この当時、旧線時代の矢立峠越えの区間(陣場-碇ヶ関間)では、D51牽引の貨物列車だけでなく、急行「第1・第2津軽」上下各1本を除く全てのDF50(秋田機関区配置機)牽引の客車編成の急行列車や、青森機関区配置のC60やC61が牽引する客車編成の普通列車(ならびに、DF50牽引の客車編成の普通列車)のほとんど全てにも、基本的にはD51の補機(主として後部補機)が必ず連結されていたのは、『デジタル元祖青信号』ブログ内の、旧線時代の矢立峠での蒸機撮影記の記事に掲載されている1965年10月のダイヤ改正当時の奥羽本線の秋田-青森間のダイヤ表(国鉄秋田鉄道管理局発行)からも明らかになりました。
しかし、12年以上前に、矢立峠越えの区間と大釈迦峠越えの区間の旧線跡の調査旅行に行く前に、旧線時代の矢立峠越えの区間におけるC60やC61の単機牽引・補機なしの客車編成の旅客列車(普通列車)の存在の有無について調査したところ、旧駅時代の陣場駅に勤務されていた、大館市内に在住の元国鉄職員・木村昭四郎さんから、「C61形牽引で補機なしの旅客列車(普通列車)は、早朝の大館発・青森行きで、客車5両前後の編成で運転されていた」というお手紙をいただき、また、1967年~1970年頃に旧線時代の矢立峠越えの区間で蒸気機関車を撮影されたことがある鉄道ファンの方から、1967年10月のダイヤ改正時と1968年10月のダイヤ改正時に発行された秋田-青森間のダイヤ表などをお送りいただいたのですが、それらの資料を整合して調べたところ、1967年10月のダイヤ改正時の時点において、大館駅を午前5時台に発車していた623レが、矢立峠越えの区間(陣場-碇ヶ関間)において、C60、またはC61の単機牽引・補機なしで運転されていた列車であることが分かりました。

ちなみに、1967年10月のダイヤ改正時に発行された秋田-青森間のダイヤ表を見てみると、陣場-碇ヶ関間の箇所には、大部分の客車編成の普通列車については、補機の連結を示す△印が付いていたのですが、623レの陣場-碇ヶ関間の箇所には、補機の連結を示す△印は付いていませんでした。この記事に掲載されている1965年10月のダイヤ改正時の秋田-青森間のダイヤ表や、Rail Magazine誌に連載された椎橋俊之氏の『ドキュメント感動の所在地』の「北奥羽の関~碇ヶ関・矢立峠~」の回に掲載された1967年3月現在の秋田-青森間のダイヤ表では、623レ(1965年10月のダイヤ改正前の列車番号は613レ)についても、陣場-碇ヶ関間の箇所には、補機の連結を示す△マークが付いていたので、おそらく、1967年10月のダイヤ改正において、奥羽本線の秋田-青森間の普通列車を牽引する蒸機がC61(それまでは、基本的にはC60が中心で、稀にC61が入ることもありました)に変更された際に、大館-弘前間では基本的に客車5両前後の編成で運転されていた623レのみについては、C61の単機牽引・補機なしに変更されたものではないかと推測されます。
なお、この623レですが、1968年10月のダイヤ改正においては、DL(おそらく、秋田機関区配置のDD51)の単機牽引に変更されたことが、同ダイヤ改正時に発行された秋田-青森間のダイヤ表に記述されていました。また、同じく1968年10月のダイヤ改正では、青森機関区配置のC61は、梅小路蒸気機関車館(京都市)の動態保存機である2号機やJR東日本で2011年春以降に動態保存機として復活する予定の20号機を含めた6両だけとなり(同機関区配置のC60は全滅)、秋田-青森間で、3往復の普通列車(そのうちの1往復は秋田-東能代間の列車)と1往復の荷物列車(大阪-青森間の列車=2047レ・2048レ)を牽引するだけの運用となりました。
 
 

釜石線を追加しました

 投稿者:h.tsuru  投稿日:2008年 2月24日(日)15時48分37秒
  洞泉-陸中大橋-上有住間の蒸気機関車の写真のほか、
建設歴史年表、国有化時の時刻表、1950年全通時の時刻表、
1966年の盛岡鉄道管理局発行ダイヤ、たこトンネルの図版
などを準備しました。
 

こんにちは

 投稿者:yamamoto  投稿日:2008年 2月15日(金)12時41分7秒
  懐かしい写真がありました。今後とも続けてください。

楽しみにしています。
 

鶴さん、はじめまして.

 投稿者:田駄雄作  投稿日:2007年 3月11日(日)12時34分44秒
   轍楽之路サイト主宰の田駄雄作こと寺田牧夫です.
この度は弊サイトD51/96/QJ掲示板にD511015機の画像ご提供ありがとうございます.
もうD51と9600のコレクションの新機番は諸先輩のお力にすがるより他ありません.
正面や後ろ姿でも結構ですので、どうかよろしくお願いいたします.
  ホームページ拝見しました.加太越えの写真を凄いボリュームと凄い煙りで堪能させて頂きました.C57が活躍していた時代の加太越えは雑誌などでもあまり見たことがありま
せん.またアングルも新鮮なものが多くて感動しました.
  東北本線奥中山ほか、奥羽本線矢立峠も私が撮影をする数年前のもの.本当に蒸気機
関車が活き活きとしていた時代ですね.未掲載のメニューも本当に楽しみな線区ばかり
です.
今後ともよろしくお願いいたします.
 

“ゆうづる”先輩、ありがとうございます。

 投稿者:米手作市  投稿日:2007年 3月11日(日)12時30分2秒
  DRFC-OB「クローバー会」の名を高からしめて
いただき感謝に堪えません。
加太以外の線区の上梓をお待ちしております。
なお、加太越えの写真を我がPCの壁紙に無断使用
しておりますが知的所有権侵害などと言わずにお目こぼし願います。
 

(無題)

 投稿者:湯口 徹  投稿日:2007年 3月11日(日)12時28分1秒
  今後の展開をワクワクしながら期待しています。
これを機会にDRFC-OB掲示板にもどうぞ。
専門家の立場から40年前のネオパンSSからの
酢酸分解や平面性喪失、カビ状発生、鉛筆状まるまり、
などの憎むべき現象の原因推定、対策(があれば)など、
レクチュアーを待ち望んでいます。
 

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